番屋敷
今日は母親はデイサービス、父親は訪問リハの日
私は午前中は、地区の方から昨日貰った「農林業センサス」の書類を持って昨日の方を再訪問
結局、我が家は農地があっても作物を作っていないし、収入もないので、調査票は提出することはいらなかった
しばらく、調査の担当の方と雑談して帰った
話しは、地区の将来について、いい話は出てきませんでした(;゚Д゚)
帰ったら母親が残した洗濯物を干したり、掃除をしたり
すると我が家の表札の横に、墨で祖父の名前を書いた古い板を見つけた
何番屋敷か読めないので隣の家に行って聞いたが、その場では中央の文字は「貮拾五番屋敷」までしか読めず、最初の文字が「西」のように読めるがハッキリしなかった。
隣の家では相続時の戸籍謄本に昔の人の名前と住所があるので調べて見ると言ってもらえた。
その時、猪の箱わなを積んだ軽トラが川上の方へ走って行ったので、歩いて追いかけて行った。
村の堂さんの近くに堰堤があって、その近くに置くということだった。しばらく設置を見ていたが、ちょっとだけ手伝った。
すると先程の隣の家の方から電話があって、自分の家が126番屋敷だと連絡があった。結局、「西」に見えた字は「百」で、我が家は125番屋敷だということが分かった。隣の家の川下にも家があって、そこが127番屋敷だろうと推測の話をした
午後の父親の訪問リハの最中に、上田の戸数を調べたら、明治21年に戸数127・657と言う数字を見つけた
さっそく隣の家に電話して報告したら、自分の村が最後の方の端っこになるなあと、笑っていた
訪問リハが終わって、枯れかかっている桜の木をチェックしに行ったら、ウォーキングをしている寄国の男性と出会った
かなり長いこと立ち話をしたら、4時近くになってしまった
その時村を囲んでいる鹿除けの柵の竹が折れていることを教えってもらった
別れてから帰り際に柵を見に行ったら、道路を上がったところを塞いでいた網を張っていた両側の竹が折れていた
金属製の棒が道路対策で用意してあるので、それを保管している家に行った
するとちょうど起きたところで(昼から寝ていたそうだ)、明日直しておく、との返事だった
相撲が面白くなってきたので、今日は早く帰ってテレビを観るとのこと
その代わりにアスファルトにヒビが入っている道路のチェックを、走っているときにしっかりやってくれと頼まれた
これから害獣対策の箱わな2つ、道路のひび割れ確認をしながら走らないといけなくなった(;゚Д゚)
まあ、柵を直してもらえるということなので、今日は放置して帰った
風呂の準備をしてから、ドリルとバウンディングとダッシュ3本をやっておいた
ちょっと筋肉痛だ
でも走った
ゆーすけさんと一緒に走る福富ダムのハーフが楽しみだ
そんな古い表札が出て来たんですね
昔がどんなだったか想像できてたのしいじゃないですか
ちなみに福富ダムマラソンは、おもさんと一緒にはしったら死んでしまいます
走った後の軽食が楽しみですから
投稿: ゆーすけ | 2025年1月22日 (水) 09時04分
ゆーすけさんへ
昔のことを調べるとロマンがありますよ。この村は昔のことが記録で残っていないのが残念です。
はい、福富はお互いマイペースで走りましょう。可愛い女性と一緒に走ってください!
軽食は一緒に食べましょう!
投稿: おも | 2025年1月22日 (水) 20時30分